WORKS HISTORY
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・「クォース」Quarth (1989)AC
担当 デザイナー:ゲーム部分の全グラフィック(キャラクター、背景、エフェクト等)
・「エイリアンズ」ALIENS (1990)AC
担当 デザイナー(ヘルプ作業):2Pプレイヤー、スタートデモ、いくつかの敵キャラクター、演出用キャラクター
・「エスケープキッズ」ESCAPE KIDS (1991)AC
担当 デザイナー、プランナー(チーム共同):全プレイヤーキャラクター、CPUキャラクター、タイトル画面、ルール説明デモ、チューンナップイベント画面、アイテムグラフィック等
・「シンプソンズ」SIMPSONS (1991)AC
担当 デザイナー(ヘルプ作業):STAGE-7ボスキャラクター(歌舞伎ボス)、演出用キャラクター数点
・「バッキーオヘア」BUCKY O'HARE (1992)AC
担当 デザイナー、プランナー(チーム共同):全プレイヤーキャラクター、ステージ1ボスキャラクター、エフェクト、デモグラフィック
会社のBBS(当時はまだそんなものがあった時代)にトレジャーを「蟹工船」に例えて書き込まれた事があったが、まぁそこまでの事は無いにしても…体育会系の流れはあったので、よくやれていた感はあるのかな?とは思う。
「アイデアがタダで湯水のように出てくるとでも思ってるんじゃねえだろうな」と思った初めの会社でもある。(「ちょっと考えれば、アイデアなんていくらでも出るでしょ」→未だに私を激怒させる言葉、またはその態度や自覚)
初期に集まった社員はみんな凄かったと思う。色々な意味で刺激的だったし面白かった。ゲームというのは「会社」ではなく「人」が作るものだと理解した。各々の衝突も凄かったが…「ガンスターヒーローズ」が終わった瞬間にチーム全員が皆「お前らとは2度とやりたくねえ!」と言って空中分解したのも若さ故だろうか。
メガドライブの発色は泥臭くて未だに好きにはなれないが、自分のドット絵はこの頃で完成(完了)レベルだったと思う。
ただ、とにかく自分は体調を崩しがちだったし、ヘルプを含めて3本のプロジェクトを同時に抱えた時は、いつ終わるか分からない不安に襲われ胃が痛くなり、挙句に倒れて救急車で運ばれ入院。(何かが心の中で折れた瞬間)
心身共に疲れたので、退職して他の会社に行く事にした。
・「ガンスターヒーローズ」GUNSTAR HEROES (1993)MD
担当 デザイナー、プランナー(チーム共同):全背景グラフィック、タイトルロゴ、その他
・「幽★遊★白書 魔強統一戦」YU★YU★HAKUSHO (1994)MD
担当 デザイナー(ヘルプ作業):6ステージ分の背景グラフィック
・「エイリアンソルジャー」ALIEN SOLDIER (1995)MD
担当 デザイナー(ヘルプ作業):ステージ1~9の背景グラフィック(およびそれに付随するオブジェクトグラフィック)
・「ライト クルセイダー」Light Crusader (1995)MD
担当 デザイナー、プランナー(チーム共同):70%程度のキャラクター、全エフェクト、全背景グラフィック、音楽2曲作曲、その他
ビデオゲームに携わる者として、もう一つの憧れであったアタリ社との関りを持ちたかったので旧テンゲンであるこの会社に入社した。
トレジャーとは違って、とても穏やかでノンビリとした印象を持った。社長であった松永氏がとても気楽に話せる良い人だったせいもあると思う。ただ、居心地の良い会社ではあるが、ゲームの開発力は一歩劣るというのが現実であったし、それもあってタイムワーナー社としても最終的にゲーム事業からの撤退を選択したのだとは思う。(こういった部分は外資系の会社はシビアで判断が早い)
ただ、入社時点でオリジナルゲームに挑戦し始めており(「TAMA」とかね)これから体制作りをしていく最中という感じではあった。indigo(Softimage)なども導入されており、3Dポリゴンでの制作にも意欲的だったのだと思う。
入って指示を受けたのが「心霊呪殺師 太郎丸」のプロジェクト参加。企画書程度はあったが仕様書レベルの物はなく、ディレクターも他のタイトルの作業をしていたので、「とにかく何かやっといて」というレベルの指示から始まったように思う。企画の世界観は完成品と変わらず和風ではあったが「プリンス オブ ペルシャ」のようなゲームを目指していたようだ。
とりあえず「蜘蛛」のボスっぽいものを作ってみようと思い描き始める…セガサターンのタイトルではあったが、なぜかドット絵のツールはプレステのスプライトエディターというツールを使っていた。ツールにはアニメーションの機能なども備わっていたので、容量削減も加味して蜘蛛の各パーツをバラバラに描き、アニメーションテーブルの上に並べてキーフレームごとに移動や回転、拡縮も含めて歩くアニメーションを作ってみる。まぁ、普通に動いたのでプログラマーさんにこのキーフレーム間のスプライトの動きをプログラムでフレーム補間できるか聞いてみたら「できる」というのでやってみてもらう。
するとヌルヌルと歩いたので、この後のボスキャラクターの制作方針は固まった。
と、言っている内にとにかく「ドンドン作って」と言われたので骸骨やら何やらを同じ方法で作っていく。仕様がないので攻撃方法も自分で考える…
と、言っている内に背景も頼まれる。ステージ構成も考えて作っていく…何かトレジャーでやっていた事と変わらなくなってきた。ゲームも「プリンス オブ ペルシャ」色は無くなり、直近でやっていた「エイリアンソルジャー」の方向性になってくる。当然、一部から反発もあったようだが、だったら仕様を書いてくれ…と言ったら誰かやってくれただろうか?
太郎丸も終わりに近づき、デザイン作業は無くなったので次のタイトルの企画を始める。シューティングが作りたかったのでシューティングの企画を始め、セガサターンの開発機でのポリゴンや回転BGなどのテストを始めていた矢先、青天の霹靂が起こる。タイムワーナー社のゲーム事業撤退、突然の会社解散である。
所持品整理を始めた頃、アタリ本社の方で作っている格闘ゲームがあり、アドバイスが欲しい(?)という依頼が来たので行って来て欲しいと言われた。単身でシリコンバレーまで渡米する。(砂漠の飛行場に降ろされ、どこへ行ったらいいかわからず不安になったが、何とか迎えに来た現地のアタリ職員に会えた)
車で移動しながらお話。(アタリ社内で太郎丸でこの敵を作ったのは誰?というのが私の作ったものだったとの事)まぁ、予想はしていたがアタリ本社に来て働かないか?というお誘いだった。アタリ社の中を色々案内されたり、作っているゲームを見せてもらったり。まさにアタリのゲームファンとして至福の一時であった。
ベクタースキャンの「STAR WARS」が大好きなんですよと言ったら、倉庫に一杯あるから持って帰っていいよと言われた。(無理だよ…)
周りの景色は壮大だし、気持ちのいい環境だったのでアメリカでも生活は可能だとは思ったが、さすがに言葉の壁はきついのでお断りして帰国。そしてしばらくして、タイムワーナーインタラクティブを後にした。
・「心霊呪殺師 太郎丸」ShinreiJyusatsushi Taromaru (1997)SS
担当 デザイナー、プランナー(チーム共同):70%程度の背景グラフィック、50%程度の中ボス、ザコキャラクター、エフェクト、デモ用グラフィック
トレジャーの同僚の勧めで出戻り。プロジェクトで遅れが出たり、苦戦していたりで何やらあまり上手くいっていない様子。社員は結構増えていた。社内は未だドット絵での制作をしていたので、自分は独学で3DCGへ方向転換しはじめた。座組が揃うまで、しばらくは手持ちのLightWaveを使ってテスト。トレジャーに戻る時の条件というか希望として「シューティングゲームを作らせてほしい」というのは言ってあったので「RADIANT SILVERGUN」の企画を並行して進める。
今に比べれば拙いものではあっただろうが、基本的にここから自分のディレクター&プランナーとしての正式な肩書はスタートしたと言っても良いと思う。「罪と罰 地球の後継者」ではNAMIのプロジェクトにデザイナーとして参加。それ以降は「斑鳩 IKARUGA」「グラディウスV」と自分のプロジェクトに専念させてもらっている。
「RADIANT SILVERGUN」はこの業界に入って9年目にしてやっと作る事のできた正式なシューティングゲームだったので、やりたい事を盛り込んだだけ。「斑鳩 IKARUGA」は同社「シルエットミラージュ」の影響と言われていたが、それは説明上の簡易表現でありアイデアの出所は全く別。シルバーガンでの3色の属性を2色に削る事(単純化)と太郎丸での「防御」仕様を掛け合わせて(クロスオーバー)引き算の企画理論で絞った結果である。
正月休み返上で妻にプロトタイプのプログラムをやってもらい、軽く遊べるようにしたものを社内で遊んでもらい話を通す。同様に資金を得るために某社に持っていったが反応悪し。プレイさえしてもらえない。社長がお金は何とかするというので最低限の予算で作る方策を考え始める。
「Project RS」と呼ばれていたものの定義には「アイテムを出さない」「パワーアップ方法はプレイヤーのスキルと比例する」などの項目があるが企画方針は引き算によって骨太になるような企画を目指している。
「RADIANT SILVERGUN」は盛り沢山な内容とはなったが、それほど大きな利益は生んでいない(XBOX360以降は知らないが)。話は逸れるが、「ファミ通」などで発表されている売り上げ本数は、まったく合っていないことだけは書いておく。あれはドラクエやFFのように、どの店でも均等に売れるようなタイトルの予想はできても、シューティングゲームのような局地的に受注数が異なり、売れる店とそうでない店とが分かれるようなものは集計しても正確な数字は出ない。
特に「RADIANT SILVERGUN」はレアとか言われていたが、今日のシューティングタイトルよりよっぽど売り上げ本数は多い。(結構な数が海外に流れたとは思うが…)
「RADIANT SILVERGUN」の結果も踏まえ、プロジェクトの人数を半分以下に減らし、各員のベストの個人技によって作られたのが「斑鳩 IKARUGA」である。4名の人員、クオリティアップ、期間1年3か月、開発費5千万円強という今だったらやりたくもない事をやったわけだ。
だが、当然その無理の反動が来ないはずがない。この頃から私の心の病は徐々に始まっており、左目が見えなくなり始め、帰りの電車で気分が悪くなり、途中の駅で降りてホームの隅でうずくまって耐えるような日々が多くなっていく。それでも何とか苦心しながら「グラディウスV」の開発を終える。だが、次のプロジェクトの最中にそれは起こってしまう。
何時しか、稼げるクオリティのタイトルを作らなければならないという会社側の圧力は私の心を蝕むと同時に、自分のプロジェクトでいくら黒字を生み出しても、他のプロジェクトの多くが赤字という状況は、自分の心を折るに足るものだったと思える。
体調をコントロールすることができなくなった私は「助けて欲しい」と会社に頼んだものの…誰も助けてくれる人はおらず。この頃のメンタル不調は、未だキ●ガイを見るような雰囲気も残っていたし、できれば触れたくないものだったとは思うが…
会社にとって、私は都合のいい「マシン」程度のもので、故障したら捨てて交換すればいい物だったということだ。実際それに近いことも言われている。その積み重ねの結果が今のトレジャーとするならば…後は言うまでもない。ただ、その遺恨は未だに消えておらず、今後も教訓として消える事はないと思う。
そういえば遠い昔、大学の研究室の教授にこんな事を言われた事があった。「会社の為になんて、バカな仕事の仕方するんじゃねえぞ」。そういう意味だったんだなと思った…
・「レイディアント シルバーガン」RADIANT SILVERGUN (1998)AC、SS
担当 ディレクター、プランナー(チーム共同)、デザイナー:全背景グラフィック、ザコキャラクター数点、エフェクト、パブ用画像等
・「罪と罰 地球の継承者」SIN AND PUNISHMENT Hoshi no Keishosha (2000)N64
担当 デザイナー:90%程度の背景グラフィック、デモグラフィック、エフェクト、ライティング・フォグ等設定、その他
・「斑鳩 IKARUGA」IKARUGA (2001)AC、DC、GC
担当 ディレクター、プランナー、デザイナー、サウンドコンポーザー:70%程度の背景グラフィック、エフェクト、ライティング・フォグ設定、全音楽作曲
・「グラディウス V」GRADIUS V (2004)PS2
担当 ディレクター、プランナー、デザイナー:60%程度の背景グラフィック、エフェクト、ライティング・フォグ設定
・「斑鳩 IKARUGA」IKARUGA (2008)XBOX360 LiveArcade
担当 デザイナー:グラフィックデータコンバート、XBLA版追加グラフィック
体調が良くないままではあるが、食べていかなければならないのでフリーランスで仕事は続ける。実はこの時点で某社よりトレジャーと共にご指名でシューティングゲームを作る話があったのだが、契約寸前になって突然親会社が登場し開発費を半額にダンピング。怒ったトレジャーの社長はこの話を断っている。私もそのためのmayaなどを購入していたので大層な被害を被る。代わりにもらったのがブリーチの仕事。でも、やっつけでやったわけではない。ちゃんと漫画とTVアニメ(まだ放送途中であったが)を全話見て合わせていったつもり。
ストラニアの仕事をしながら、先々の事も考えてマンションを引き払い実家に戻る。だが、親の方もメンタルの病気について理解度は低く、仕事についてもめた事から再び上京することになる。
今思えばこの時持っていた軍資金を使って「ウブスナ」を作れていたら、今も個人でやっていけていたかもなとは思う。つくづく厄介なのは病気。そう、体は資本なのである。
話は変わるが、フリーランスの営業で呼び出しを受けて打ち合わせに足を運ぶも、何の案件も話さない(世間話程度で終わり)会社って何なんだろうか?8人ぐらいガン首揃えてこちらが話を振らないと話題にもならない話し合い。不毛。未だに不明である。
「輪くすさが」さんに聞いたら「フリーランス営業あるある」らしいんだけど、何を考えて無駄な時間を設定するのか誰か教えて欲しい。
・「ブリーチ VERSUS CRUSADE」BLEACH VERSUS CRUSADE (2008)Wii
担当 デザイナー:90%程度の背景グラフィック、ライティング・フォグ設定
・「星霜鋼機ストラニア」STRANIA (2011)AC、XBOX360
担当 デザイナー:ステージ5一部背景、戦艦等、ステージ6背景(巨大ビーム砲)
ストラニアの流れから、再びの上京でグレフに入るが…傍で聞く分には面白い話も、当事者からすると洒落にならないような話もある。自分にとっても面白くも何ともない話しかない。記憶が鮮明なのは会社にいた時に起こった東日本大震災ぐらい。
「哭牙」は、どこを直せばいいかはわかっていたが、もう調整期間が無いとの事で後の祭り。打てども響かずの状況は自分にはどうすることもできないし、自分の名前を出したところで金の成る木にもなれない。
それにしても、見向きもされなかった「1本のソフトでの4人同時プレイ」。嫌がられた「パネルを指でタッチ」でカード使用。今だったらスマホでもSwitchでも普通にやれてるんだけどな。早すぎたのだろうか…
・「GON バクバクバクバクアドベンチャー」GON Baku Baku Baku Baku Adventure (2012)3DS
担当 デザイナー:キノコの森ステージ背景モデル
・「哭牙 KOKUGA」KOKUGA (2012)3DS
担当 ディレクター、プランナー、デザイナー:背景モデル、エフェクト、メニュー、カードグラフィック
教授再び…「会社の為になんて、バカな仕事の仕方するんじゃねえぞ」…はい、分かってはいたのですが、私はまた同じ過ちを犯しました。
まぁ「ナイトストライカーGEAR」の一件がなかったら、今も普通にウブスナの開発は続いていたのかもね。
自分には開発者の相手はできるが、コレクターの相手はできない。「会社に来て背中を見せて欲しい」だと?俺はガキのお守りか…(そんな奴が開発業に来るなよと思う。付き合いきれない)
・「3D アフターバーナー II」3D AFTER BURNER II (2013)3DS
担当 スペシャルモードディレクター、プランナー、デザイナー:スペシャルモード全ステージ敵セット、追加分グラフィック、筐体パネルグラフィック、キービジュアル修正
・「3D サンダーブレード」3D THUNDER BLADE (2014)3DS
担当 デザイナー:各種グラフィック16:9拡張、タイトル画面、筐体パネルグラフィック、キービジュアル(ボツ)
・「魔神少女 エピソード3 -勇者と愚者-」The Legend of Dark Witch 3: Wisdom and Lunacy (2017)3DS
担当 ディレクター、プランナー、デザイナー:敵セット、UI、エフェクト、足りないグラフィックの追加、オマケゲームデータ作成
・「ナイトストライカーGEAR」NIGHT STRIKER GEAR (2025)Steam、Switch
担当 ディレクター、プランナー、デザイナー:全ステージ敵セット、B-ステージ背景、敵(ザコ、ボス)キャラクター数体、全グラフィック調整、キービジュアル作成
・「ウブスナ UBUSUNA」UBUSUNA (2025 開発中止:Canceled)
担当 ディレクター、プランナー、デザイナー、サウンド:全背景・全オブジェクト仮モデル作成、モーション作成、ライティング・フォグ設定、メニュー、エフェクト等グラフィック作成、全音楽作曲、全効果音作成
さて、2026年に入って色々動いてきたけど、やはりそう甘くはない。なにせ億単位のお金が動くのだから。だから現状ではずっと初志(個人制作)のまま動いてはいる。なぜか分からないが色々な人が手を差し伸べてくれたり、助けてくれる。上手くいってもいかなくても感謝、感謝である。
UBSNに関しては多分、全て作り直しの方針にはなるだろうが(というか現状で既にUnity6やURPに対応することも含めて作り直している)そろそろ動向を見ながらどう動くか判断しないといけないと思っている。←イマココ
・「UBSN -壊れざる星屑の番号-(仮)」UBSN -UnBreakable Stardust Number- (TBA)
HIROSHI IUCHI All rights reserved.

入社後、研修を終え新入社員の課題として外注作「急降下爆撃隊」のマップ制作をデザイナー全員に出されたが、全員完成できなかったため不採用。今思い返せば、ほとんどゲームが出来ておらず(ゲームになっていない)、ゲームの面白さもわからない状態でマップの制作をやらせるのはちょっと無茶であろう。「休日の宿題」とされて指示された事も、新人とはいえ論外ではなかったかと思うのだが…「急降下爆撃隊」はその後開発中止となる。
他にも協力を頼まれた外注作「キューブリック」のマップ手伝いなどは全員採用されたと記憶している。
その後、アーケードゲームの制作部署に正式配属。
「クォース」制作の途中で外注作プライズマシン「つるりんくん」のデモ画面の絵が描けないとの事でドット絵をヘルプすることになったが、外注先がフロッピーディスクの使えないツールを使っていたためデータでのやり取りができず、方眼紙に16色の色分けでドット絵を描いて渡すことになる。修正も難しく(やってられるか!)不本意(恥ずかしい)な状態でリリースとなる。もし、出来る事ならゲーム画面も含めて全部描き直したいぐらい。
「エスケープキッズ」のキャラ、16方向のドット絵アニメは二度とやりたくない仕事の一つ。(今なら3DCGツールを使えば簡単だろうけど)曲が先に出来ていたので、トイレに流される前のダンスの振り付けは楽しかったが。
バブル期な上に、TMNTのアーケードゲームが北米でヒットしたため90年代冒頭のコナミは北米向けの版権タイトル中心で動いていた感がある。
「エスケープキッズ」(ロケテスト)「バッキーオヘア」(ハズブロ社との打ち合わせ)の時に2度の渡米をさせてもらい、色々な経験をさせてもらった会社には感謝。
1992年、部署編成が大きく転換するという時にトレジャーの設立に付き合って退職したが、トレジャーに移ってもコナミに残っても、作るプラットホームはメガドライブになる予定だったというのは…何だったのだろう?(別にセガが好きでも嫌いでもなかったが)。
いずれにしても「グラディウス」や「魂斗羅」に憧れてコナミに入社した身としては、それらの作品に携われなかった事が当時は残念であった。(後にグラディウスVを作る事にはなったが…)